心の広い人になるために、自分の中の無駄な常識を減らしていこう

仕事・メンタル
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<strong>テンカ</strong>
テンカ

こんにちは!テンカといいます!

よろしくお願いします!

さっそくですが、年齢を重ねていくにつれてイライラする事が増えたり、心が狭くなった気がするという人はいませんか?

他の人を許せない時、他の人の言動にイライラしてしまう時というのは、自分の中の常識が破られた時です。

「こうするべき」「普通はこうする」といった自分の常識ではないことをされると腹が立つんです。

冷静に考えてみれば、特に問題はなくて、他の周りの人は自分と同じように「こうするべき」と思っていなかったりします。

自分が勝手に「こうするべき」「こうしなくてはいけない」「この順番でなければダメ」「これ以外はダメ」と思っていただけかもしれません。

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常識について

常識というのは、いつの間にか誰かの手によって勝手に作られたものだと思っています。

いつの間にか「こうするのがマナー」「こうするのが常識」だという事を誰かが言い出して、それを周りに強要して、「こうしないといけない」という事が広まったのではないでしょうか。

そして、その常識通りにやらない人がいると「礼儀が無い」「マナーがなってない」と批難するのです。

それと同じ事が自分の中でも起こっています。

例1 休憩時間の常識

例えば、仕事の休憩に、その時間になってから入らなければいけないという思い込みがあります。

先輩は、休憩の5分前に「もう休憩入っていいよ」と言ってくれているのに、時間にならないと休憩に行かない人がいます。

「先輩より先に休憩に入るのは気が引ける」「周りの人からズルいと思われるかも知れない」「サボっていると思われるかも知れない」といった思いがあるのかも知れませんね。

休憩は休憩時間になってから入るべきだ、という自分の中の常識があるから、同僚や後輩が5分前に休憩に入ると、ズルい、それはダメ、まだ休憩時間じゃないじゃんと怒りを感じてしまうのです。

僕個人的には、休憩から上がる時に5分前行動が適用されるなら、休憩に入る時も適用すればいいのではないかと思っています。

逆に休憩は時間になってから入れというのなら、上がる時も時間になってからでいいのではないかと思います。

12:00~13:00の休憩であれば、12:55に休憩を上がるのであれば、11:55に入ってもいい。

12:00に休憩に入るのであれば、上がる時は13:00になってからでいいという感じですね。

例2 目上の人には気を使わないといけないという常識

他にも、目上の人には常に気を使わないといけないと思ってる人がいます。

気を使うことは大切にしてほしいし、素晴らしいことだと思います。

ですが意外と、気を使っているのに相手の為になっていない事が結構あるんです。

それは、相手の為ではなく、自分の為に行動しているからです。

やらなければいけない、やらなければ注意されるというプレッシャーから行動するからです。

まあそうは言われても、だれも自分の為にやっているという自覚は無いと思います。

ですがいつの間にか、自分が気を使っている姿を周りの人に見せる事が目的になっている場合もあるのです。

例えば、荷物を持ってあげる、ドアを開けてあげるです。

2つとも、役に立つ事ももちろんあるのですが、相手が必要としていなかったり、自分が気づかい出来ますよというのを周りに見せる為である場合があります。

荷物が多かったり、重そうだったり、邪魔そうな時などに助けようとするのが本当の気づかいです。

ですが、自分が気が利くやつだと思われる為、無能なやつだと思われない為、注意されないようにする為にするのは、本当の気づかいではありません

荷物を持つ、ドアを開けるって、周りの人から見てもはっきりと見える気遣い(っぽい事)なので、アピールもしやすいんですね。

つまり、相手の為というより、周りにアピールする為にする人も結構多いという事です。

ここで言いたいのは、アピールする人が悪いというのではなく、アピールしなければ評価されないという空気感が悪いという事です。

なぜ気づかいアピールが常識になってしまったのか

なぜそうなるかというと、本当に気づかった瞬間を周りの人がだれも見ていなくて「もっと周りに気を使え」と言われたり、あの人には必要ないな、むしろ邪魔になるなと思ってあえて行動しなかったら「ほら、あの人の手伝ってやれ」と言われたりするのが原因だと思います。

このような経験を重ねていくと、「本当に相手の為を思って行動しても、周りの人が見ていないと評価してもらえないんだ」「本当に相手の為になっているかは関係なくて、気づかいっぽい行動をする事で認めてもらえるんだ」という価値観になってしまうのではないでしょうか。

よくドラマであるように、「誰も知らない所で努力している事、私は見ていたよ」と言ってくれる人なんか全然いないんです。

そして、気づかい(っぽい事)をする事が評価されるから、もっとそうしなさい、それが常識だよ、と後輩や自分の子供に教えていくんです。

だから、本当に相手の為になるのかを考えなくなって、周りにアピールできればオッケーだと勘違いしてしまうんです。

もうそれが当たり前になってしまっているから疑う事もしないんですね。

例 本当の声

こういう光景を見た事はありませんか?

後輩「先輩、その荷物持ちますよ」

先輩「いや、大丈夫だよ」

後輩「あ、いや、持ちますよ」

先輩「いや、これは自分で持つから大丈夫」

後輩「いや、でも…」

これは、どこにでもありそうな光景だと思います。

この場面で表れる本当の声は、

後輩「先輩、その荷物もちますよ(気が利くやつだと思われたいので持たせてください)」

先輩「いや、大丈夫だよ(これは自分のだし、自分が持つよ)」

後輩「あ、いや、持ちますよ(後輩である自分が持ってないと、後で上司に注意されそうだから持たせてください)」

先輩「いや、これは自分で持つから大丈夫(別に持ってほしくないし、むしろ自分で持っておきたいから大丈夫)」

後輩「いや、でも…(上司も見てるし、また何か言われそうだから持たせてくださいよー)」

という声が聞こえてきそうです。

もしこうだとしたら、明らかに先輩の為ではなく、自分の為の行動ですよね。

あなたもそうなっていませんか?

僕はこんな光景がもっと減ってくれたらいいなーと思っています。

この本質からずれた常識を、下の世代に受け継がないで欲しいと思っています。

この、先輩の役にも立たなくて、自分も周りの評価を気にして消耗するという、誰の得にもならない常識は、無くしていっていいと思います。

本当に相手の為になりそうな事であれば、どんどんしてほしいですが。

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最後に

こんな感じで、常識というのはいつの間にか勝手に出来上がって、他の人に強要して、どんどん強化されていくんです。

※よく考えてみると、これはなんの意味があるんだろうという事も、「でもこれが常識だからそうしないと注意されるし、出来の悪い人だと思われる」と思い込んでしまいます。

そして自分も、そう教えられてきたから他の人がそうしていないと「ダメなやつ」だと思ってイライラしてしまったり、それはずるい!という感情がでてきてしまいます。

他の人に注意する時というのは、自分は出来ている(と思っている)から、他の人に注意ができる(と思っている)のです。

そして注意された人は~(※に戻る

というループに陥ってしまうのです。

この常識のループは、繰り返せば繰り返すほど強化されていきます。

なので、この常識はなんであるんだろう、無駄だよなと思った事があれば、まずは自分の中の常識から除外してほしいです。

除外する事ができたら、下の世代に「これが常識だから」と受け継がなくなり、だんだんと意味のない常識を消していく事ができます。

本当の気づかいの意味を思い出してください。

この常識には必要な意味があるのかを考えてみてください。

このように一つ一つ無駄な常識を無くしていくと、本当に大切な事が見えてくるのではないかと思います。

これからも頑張っていきましょう。

最後まで見ていただきありがとうございました。

この記事と同じ内容を動画でも発信していますので、良ければご覧ください。

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