こんにちは!
主にメンタルについて書いているテンカと言います!
よろしくお願いします!
さっそくですが、「自分って人間不信かも」と思った事はありませんか?
人に相談が出来なかったり、つい人を試すような事をしてしまったり、出来るだけ会話をしないようにしたり、といった事が特徴に挙げられます。
こういった軽い人間不信になりやすい人は、人の感情が見えすぎると感じる人や、誰かに裏切られた経験がある人ではないでしょうか?
この記事では、軽い人間不信の人の特徴・原因・対処法について僕の意見をまとめています。
軽い人間不信の人の特徴
家族や友人にも相談ができない
人間不信の人は、誰かに「相談をする」という事が出来ません。
それは、自分の求めている答えが返ってこないと思っているからなのです。
相談を聞いてくれる人はいても、本当に自分の立場になって考えてくれる人は実は少ないと思っています。
親身になってくれているようで、どこか他人事で無難な答えしか返ってこない事がほとんどだと感じます。
なのでこう感じる人は「相談したところで…」となってしまうので、相談ができないのです。
人の言葉を素直に受け取れない
人を信用していない人は、他人の言葉を素直に受け取る事が出来ません。
基本的に自分しか信用していないので、感覚的に「それは心の底から思ってる?」と思ってしまうのです。
「一般的に誰もが思いつくような無難な事ばかり言っているだけ」「私だけに言っているようで周りの人に自分優しいでしょアピールで言っている」などと思っています。
なので人間不信ぎみの人は素直に言葉を受け取る事が出来ないのです。
つい人を試すような事をしてしまう
人を信用できない人は、つい人を試すような事をしてしまいます。
相手の反応によって今なにを思っているのか、どういう目的があるのかをはっきりさせたいのです。
相手の言葉や行動に疑いをもっていて、その疑いは正しいのかをつい試してしまいます。
何でも一人でやりたい
人の行動を信用していない人は、他の人に何かをお願いしたり、手伝わせたくありません。
基本的に自分しか信用していないので、他の人に任せるといった事が不安で出来ないのです。
自分でミスをするなら納得できますが、他の人にミスをされると「自分でやればよかった」「やっぱりな」と思ってしまいます。
そういった経験が増えると、多少無理をしてでも自分一人でやった方がマシと思う事が増えてきます。
会話をしなくなる
必要以上の会話をしなくなる事も、人を信用していない症状の一つだと言えます。
特に自分に関する情報は極力言わなくなります。
おおやけにしたくない事をいろんな人にペラペラ話されたり、知られたくない人にまで広まって欲しくないからです。
意外といろんな人に言いふらす人は多いですし、「自分とその友達だけの秘密」をその友達もまた「自分とその友達だけの秘密」として話す人も多いです。
それでひどく傷ついた経験のある人は、それを警戒して必要以上の会話をしなくなってしまうのです。
原因
求める答えが返ってこない事が多かった
真剣に話を聞いてくれる人はいるけれど、自分でも思いつくような一般的無難な答えばかりしか返ってこない事が多いと感じているのだと思います。
無難にどうしたらいいかは簡単に思いついても、行動に移すまでの「やりたくない」「心が痛い」「恥ずかしい」などの気持ちまでは誰も分かりません。
その為「こうしたらいい」「こうしなさい」といったアドバイスはどこか他人事のように聞こえてしまうのだと思います。
そう聞こえる人は「相談をしたところで、当たり前な答えしか返ってこない」と相談しても無駄だと感じているのです。
信じて裏切られる事が多かった
内緒にしてほしい事をバラされたり、いざという時に逃げられたという経験が多いと、人を信用できなくなります。
「誰にも言わないで」という事を簡単に言われたり、「一緒にやろう」と言われた事をスッと最後に相手が自分だけ勝ち逃げみたいに逃げられるなどです。
そういう事をした相手は何事もなかったかのように、謝罪は無く、悪いとも思ってなさそうだったなら、ひどく傷ついたと思います。
このように相手を信用していたのに、簡単に裏切られたという多くの経験してきた人は「もう誰も信用しない」という考え方にしまうのです。
人の感情が見えすぎるようになった
相手の言葉や行動にはどういった目的があるのか、見えすぎてしまうと感じた事はありませんか?
表情や目線、話し方、発言の意図、今までの経験などで今どういう感情なのかがまる見えだと感じる人もいます。
特に大人になると、話し方や言い回しがみんな似てくるので、どういう目的で言っているのかが分かりやすくなっていると思います。
そこには、一見気遣ってくれている言葉でも、本心は自分のためだったりします。
こういった裏の感情が見えすぎるようになってしまうと、人の事を信用できなくなっていきます。
いつも自分ばかり注意されてきた
なぜかいつも自分ばかりが注意されてきたという人いませんか?
そういう人は意外とおとなしくて真面目な人に多かったりします。
おとなしくて真面目な人には、怖さがないので気軽に言いやすい雰囲気があります。
その為、複数人が注意される対象の場合、なぜかそういう人だけ注意されるといった事が結構起きてしまうのです。
注意されやすい雰囲気がある人というのは僕も感じる部分があるので自然な事ではあると思います。
ですが、自分ばかり注意されてきた人は、人を信用できなくなってしまう可能性があります。
よく耳にする「真面目は損をする」とはこの事だと僕は思います。
頼んだ事をちゃんとしてもらえない事が多かった
頼み事がちゃんとされていないというのは誰だってありますよね。
誰だって忘れたり、出来てない時もあります。
仕事なら、全て自分でやるというわけにはいきませんが、仕事以外なら全て自分でやりたいと思う人は結構多いのではないでしょうか?
ちゃんとしてもらえなかった経験が多い人は、「やっぱり自分しか信用できない」と感じてしまいます。
それならちゃんと確認したり、もっと分かりやすく伝えればいいのでは?と思うかも知れませんが、それも疲れるので「自分でやった方が楽」なのです。
対処法
どう思われてもいいと考える
これは僕も効果を感じています。
周りの人にどう思われてもいいやと考える事で、かなり気が楽になります。
つい人の目を気にしすぎたり、考えすぎてしまいそうになったら「もうどう思われてもいいや」と唱えると、緊張がゆるんで勇気がでます。
勘違いしてほしくないのは、「どう思われてもいいからどんな悪い事をやっても良い」という訳けではなく、自分が正しいと思う事だけやって欲しいです。
自分の心から信じる事をして嫌な顔をされても、気にしないようにしたら良いと思います。
一度信じてみて、裏切られてもいいと考える
結果はなってみないと分からないので、一度信じてみてください。
裏切られないかも知れないし、たとえ裏切られても、それは何かしらの理由があるのです。
そこにはその人にしか感じないプレッシャーがあったり、ただ不注意でミスをしただけだったりするかもしれません。
なので、最初から「たとえ裏切られてもしょうがない」と考えていれば、後々悩む事も少なくなると思います。
自分だけ信じれているならOK
早い話、自分の事だけでも信じているのなら問題ありません。
他の人は信じられなくても、自分が心から正しいと思っている事を信じればいいのです。
周りの人の顔色ばかり気にしていても人生楽しくないじゃないですか。
他の人を信用できないのは当たり前です。無理に信じる必要もありません。
なので他の人を信じる・信じないはどうでも良くて、自分が心の底から思う事だけ自信をもってください。
良い事も悪い事も人生の勉強だと考える
仮に裏切られるような事があっても、どういう人が信用できて、どんな人が信用できないのか、参考にすることができます。
あまり裏切られたり、信用できなくなる出来事を経験してきてない人は、その人がどんな人なのかという本質を見抜く能力が身に付きません。
逆にこのような辛い経験をしてきた人は、人の本質を見抜く能力に優れている人が多いです。
相手の表情、目線、言い回し、言葉選び、声のトーンなどで、今何を考えているのかが分かるようになります。
これは辛い思いを多くしてきた人の特権だと思っています。
自分が辛い思いをする事で、相手が辛い思いをしなかったならOKと考える
この考え方には賛否両論あると思います。
自分を犠牲にする必要なんてないという意見もあると思いますが、それも正しいです。
正直「自分を犠牲にして、他の人が辛い思いをしなかったならOK」と考えるのは自分でけでいいと思っています。
なので他の人に同じように考えて欲しいなんて1ミリも思っていません。
例えば、自分が濡れ衣を着た時に「他の人が怒られるという辛い思いをしなかったならいいか」と考えると、人を助けたという気持ちになって、余計な感情が湧いてくる事がありません。
僕はいつでも「他人のために自分を犠牲に出来る人間」はカッコいいと思っていますし、そういう人でありたいと思っています。
これも1つの考え方として捉えていただければ、幸いです。
最後に
軽い人間不信というのは、他人との接し方は一見普通に見えます。
何もかも信じられないというわけではなく、「どうせこうなんでしょ」というように諦めているような感じです。
正直に言ったところで信じてもらえない、相談しても無駄、優しい言葉は他人事だから言えるというように考えてしまいます。
この軽い人間不信は、過去に誰かに裏切られたり、大人のズルい部分をたくさん見て来たり、理不尽な扱いをされたりといった事が原因になっているのだと思います。
その対処法として効果を感じているのが「どう思われてもいい」と思うようにすることです。
自分が心の底から感じている事であれば、堂々とやってそれで嫌な顔をされても、否定されてもどうでもいいのです。
もし他の人の顔色を伺ってしまいそうになったら「どう思われてもいい」と心の中で唱える事で気持ちが楽になるかも知れません。
実際大人はズルい人ばかりですから、他人を信じられなくなっても当然なのです。
それは全然普通だと思いますし、自分の事だけでも信じられるのなら問題ありません。
せめて自分だけは「ズルい大人」にならないように心がけて欲しいと思います。
この記事の内容を音声でも発信していますので、是非ご覧ください。